高校生の学習法

「二・二六事件」について誰もちゃんと理解していない!

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英心塾の中村です。

歴史3で習う、「2つの世界大戦」で出てくる二・二六事件についてのお話です。

二・二六事件は、1936年(くさむいぞ二・二六)は文字通り2月26日に起こった事件なのですが、教科書にはこう書いてあります。

「また、1936年2月26日には、陸軍の青年将校が大臣などを殺傷し、東京の中心部を占拠しました。この二・二六事件は、間もなくしずめられましたが、これ以降、軍部は政治的な発言力をますます強め、軍備の増強を推し進めていきました。」

 

これを読んだ中学生は、二・二六事件というクーデター事件で、自分たちの考えとは異なる政府の要人を殺しまくって、その後発言力を強めた、と捉えてしまいます。

これってかなり危険思想ですよね。学校で習っているものだと思いつつ、これの経緯を説明しろと言っても誰も答えないので、習っているのかも疑問。

現に私は中学のときに習っていない。自分で調べまくってやっと理解したのです。

 

まず2つの対立構造を知っておきましょう。

強硬外交派と協調外交派

これは、外交に関する考え方の違い。政府の大半は協調外交派。つまり強い国(アメリカやイギリスなど)を怒らせないようにして、今は言うことを聞き、軍備拡張や海外進出には慎重な姿勢をとる。

一方、強硬外交派。これは外国がなんと言おうと、日本は軍備拡張をして、強い国になって、中国などアジアに領土を広げていこうというもの。

 

ちょうどそのころ世界恐慌1929年(人国くるしい)があって、日本もその影響で景気は悪化。アメリカの不況が日本にも波及していました。アメリカは日本から大量の物資を輸入してくれていたのに、アメリカというお客さんが貧乏になったわけで、日本企業の売り上げも大量減となります。特に生糸の輸入は減少。生糸は絹織物の材料。ぜいたく品は売れなくなりますよね。

日本は重化学工業関連の企業が売上を回復するよう、軍備を拡張。国の予算が重化学工業関連企業に大量に注がれ、日本の景気はいち早く回復を示したのです。その立役者が高橋是清という人。

景気が回復傾向を示す中、政府はこれ以上は強国を怒らせてしまうと軍備拡張をストップ。もちろん強硬外交派は軍部です。ここでまた強硬外交派と協調外交派で対立が生じます。

 

もう一つの対立構造。これは陸軍内部です。

皇道派と統制派

皇道派は若手メインのイケイケ組。ガンガンやろうぜ!海外進出しようぜ!という派閥。統制派は、陸軍の重鎮たち。ちゃんと政府で話し合いながら少しずつ分かってもらおうという理性派。もちろん年齢層は高く統制派の方が人数も多い。

皇道派があるときブチぎれます。「政府はぬるい。天皇の御心を完遂しようという意思を感じない!」みたいな感じで立ち上がります。1400人の皇道派陸軍青年将校がクーデターを起こし、原隊を離れ、運動を起こします。軍備拡張に反対する政府の要人たちを暗殺していきます。その中には不景気回復の立役者である高橋是清も含まれます。

クーデターを起こした将校たちは、天皇の意思を遂行することを主張しますが、天皇はその鎮圧を統制派に命令。

そのときだされたビラが「下士官兵二次グ」です。「今からでも戻って来い!父ちゃん母ちゃん泣いてるぞ!」と書いてあります。

クーデターの首謀者は処刑され鎮圧されます。これを機に統制派は、皇道派の要人を排斥します。天皇も皇道派の一部が起こしたクーデターはけしからんとしつつも、「確かにこれまではぬるかったかもしれない」ということでこれからは統制派が中心になっていろいろ進めていけ!ということになります。

 

もっと詳しく勉強したい人は、これを読みましょう。

昔歴史好きの生徒がいて、この本にはまっていましたね。

 

政府内部の2つの闘争から、最終的に陸軍内部の統制派が勝利し、天皇の信任を得て台頭するという流れです。

なぜか、ここの部分は教科書もざっくり過ぎるんですね。歴史の転換点に関する内容にしてはざっくり過ぎる説明だと思うのですが。

 

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